Chapter0:エピソードリノン
2023年05月25日

小さな少女「エノッチ!りんごのスイートロール!」
緑豊かな街コロール、近年店を構えたパン屋オリーブ。パン職人のエノッチの作るスイートケーキやスイートロール、他にはタルトは女性から人気が高く、いつも客が途切れない。

新作の情報を耳にしたある親子がパン屋を訪れた。コロールでも指折りの資産家となったチャールベルグ家。そこの夫人と娘である。
サーリア夫人「ちょっと、リノン、そんなに大きな声を出したらダメよ。それにエノッチ“さん”でしょ。ごめんなさいね」

リノン嬢「えへへ!ごめんねエノエノ!」
サーリア夫人「もうっ!リノン!」
パン職人エノッチ「ははは!奥さん、気にしなくていいよ!」
溢れんばかりの笑みを振りまく桃色の髪の少女。名はリノン・チャールベルグ。チャールベルグ家は一世代でシロディール有数の資産として名を広めた、莫大な利益を誇る貿易商。彼女はその一人娘となる。
パン職人エノッチ「はいこれ、美人親子にサービスだよ」
ママノン「あら、いつもありがとうございます」
巷でも美人と話題な母のサーリア、お家も裕福、つつしましく、スタイル抜群な彼女には隠れファンも多く、結婚の話題が駆け巡った日は涙する男達も多かったとか。
リノン嬢「ありがとうエノエノ!また来るねっ!」
―――それから、10年の月日が流れた―――
使用人チコリ「お疲れ様です、お嬢様。本日の食事会は以上になります」
リノン嬢「ありがとうチコリ。じゃ帰ろっか」

容姿端麗な母親の血を色濃く受け継ぎ、厳しい反差別主義の父親の教育方針の元、貴族ながら常識と思いやり持ち合わせるリノン。そんな彼女はチャールベルグ家の一人娘として、それぞれ学問と武芸に長けた使用人の元、日々修練に励んでいた。
リノン嬢「チコリ、今日の予定を教えてくれる?」
使用人チコリ「はいお嬢様、今日は午前中は体術、午後は変性の訓練、夕方にはライティマー家と交易の打ち合わせです」

リノン嬢「ゲゲッ...デリック様、かぁ...」
あからさまに嫌なことが表情に出るリノン。ラティマー家の長男であるデリックの“仕事以外”の執拗な誘いにはうんざりしていた。
使用人チコリ「お嬢様、顔に出てますよ。まぁ、あの方なら気にしないでしょうが」
リノン嬢「むしろ嫌がる顔も素敵だと褒めてくれるんだけど...ちょっと怖いの」
コンコンッ...
顰めっ面でため息を吐くリノンの部屋へ、ノックの音が響き渡る。
執事マブーイ「お嬢様、準備は宜しいですか?」
マブーイの手解きの元、魔法の訓練に勤しむリノン。治安の悪いシロディールで最低限の護身術を、という父親の意図である。

使用人マブーイ「...どうやらお嬢様は破壊魔法のセンスは壊滅的ですな。マジカは人並み以上ですが、コントロールの悪さも人並み以上ですぞ」
リノン嬢「ま、まだ発展途中!発展途中なの!大丈夫、次は当てるよッ!」
使用人マブーイ「それじゃ、私は少し離れて...」
リノン嬢「雷撃っ!!」
バリバリバリバリッツ!!!!!!!!!!!!!!!

激しい音を立てて、雷撃は標的から軌道が逸れる。何度も放っても直撃する事は無かった。
使用人マブーイ「...私がアドバイスできるのは、できるだけ対象に近付いて放ちなさい、という事ですね...」
リノン嬢「うーん...好きなんだけどな、魔法」
使用人チコリ「...お嬢様、次は体術です」
リノン嬢「今日も打ち込み台での練習?」
使用人チコリ「ええ。今日は100本行ってみますか。頭を使わないのでお嬢様でも大丈夫です」
リノン嬢「ねぇ、わたしの事バカにしてる?」
チャールベルグ家地下、訓練場。しばしの休憩を挟み、チコリの格闘術の訓練を始める。

使用人チコリ「それじゃ全然ダメですね」
リノン嬢「ひゃっ!急に触らないでよ!」
使用人チコリ「足だけで蹴っちゃダメです。お嬢様のか細い脚じゃ虫も殺せません。腰を回すイメージで足をしならせ同時に打ち込みます」
リノン嬢「うーん、こう、かな」
スパァァァァン!!!!

使用人チコリ「...お嬢様は武芸の方が向いてるかも知れませんね」
リノン嬢「お父様は慎しましくあって欲しいみたいだけどね。いつまでも守られるだけじゃイヤなの」
使用人チコリ「...あの目付きの悪い傭兵のことですか?」
リノン嬢「うん。いざとなったらわたしだっておじさんを守るんだから」
ーーー夕刻ーーー
チャールベルグ家の浴室は、それこそ大浴場の様に広く、訓練を終えたリノン達は全員で汗を流していた。
リノン嬢「ねぇ、お母様、傭兵のおじさんとはどんな関係だったの~?」

サーリア夫人「ただのお友達よ。それよりリノン、同年代でいい子はいないの?」
使用人チコリ「ダメなんです夫人。お嬢様は枯れ線なんです...」
サーリア夫人「父親には似てないと思うけど...確かにいい男ではあるけどね...」
リノン嬢「怪しいなぁ。今度その話聞かせてねお母様」
サーリア夫人「うーん、考えておくわ(血は争えないわね)」
―――数日後―――
ラティマー家の長男、貴族のデリックから有無を言わさず会食の誘いが入る。チャールベルグ家にとってはこの上ない太客だ。
父親の頼みにより、リノンはデリックへ会う事となった。肝心な護衛のゾハルはレヤウィンの特務からまだ帰って来ていない。デリックの屋敷のあるスキングラッド周辺までは女2人旅となる。
リノン嬢「...ねぇ、ホントに行かなきゃダメ?」
使用人チコリ「ダメです。お父様がお嘆きなられますよ?逃げ出さないように見張ってますから」

リノン嬢「...わたしは...」
使用人チコリ「お嬢様」
リノン嬢「分かってるわ。分かってる」
使用人チコリ「それじゃ、デリック様へのお土産にオリーブのスイートロールを買っていきましょうか?」
リノン嬢「それ名案かも!」

曇ったリノンの表情が明るくなる。食べ物で釣る、これも長年リノンへ付き添ったチコリならではの技だった。
パン屋オリーブ。すっかり常連となったリノン達。
リノン嬢「こんにちわエノエノ!」
パン職人エノッチ「いらっしゃいませお嬢様。今日もいつもので?チコリちゃんもどうも!」
使用人チコリ「どうも...もう名前を訂正する事を諦めたんですね...」
パン屋エノッチ「スキングラッドから最高の葡萄が届いてるよ。ホラ、今日のイチオシはラムレーズンのスイートロールだよ」
リノン嬢「おいしそう...!!最高だと思う!」

リノン嬢「あれ?今日は6個しか頼んでないけど...」
パン職人エノッチ「他のはサービスだよ!サーリア様にも宜しく頼むよ」
リノン嬢「で、でもこれじゃサービスの方が多いけど...」
パン職人エノッチ「お嬢様、美人ってのはそれだけで罪なんだ」

エノッチは渾身のキメ顔を見せるが、それが何のアピールなのか、リノンに伝わる事は無かった。
使用人チコリ「ひと雨来そうですね」
コロールを出てすぐ、青空は既に雲に隠れ、遠くで雷の音が聞こえる。
リノン嬢「そうね。ごめんねエルシオン」
愛馬を撫でるリノン。悪天候の中馬を走らせる事が心配なようだ。二の足を踏んだ彼女達だが、やがて知った顔の女性達が声を掛けて来た。
魔女ジョディ「あらリノンちゃん。こんな雨の日にどちらへ?」

リノン嬢「あ!ジョディせんせい!」
この妖艶な女性はコロールの住人、魔術ギルドの講師を務めるジョディ。素性も年齢も謎で、リノンの母親のサーリアも彼女から魔法を教わってたらしいが、その様相は今でもなんら変わらない。俗に言う美魔女、という奴だ。
男の噂が絶えないジョディだったが、驚くべき事になんと子連れだ。リノン達は慎重に言葉を選ぶ。
リノン嬢「ちょっとスキングラッドまで!友達に会いに行くんだけど、雨が降りそうで憂鬱なの。で、お子さんですか?」
使用人チコリ「全然自然な流れで聞けてませんよお嬢様」
魔女ジョディ「ハハハ!この子?ちょっと諸事情で預かっててね」
ドラーキ少年「こんにちはおねえさん!ぼくドラーキ」

赤い髪をした可愛らしい少年。年齢は10歳前後だろうか。
魔女ジョディ「ちょうど良かった、スキングラッドへ行くならドラーキに付き添ってくれないか?」
頼まれたら断れない。リノン・チャールベルグはそんな人間だった。

使用人チコリ「うまいこと押し付けられましたね」
リノン嬢「チコリ、そんな事いっちゃダメだよ。きっと先生忙しかったんだよ!」
ドラーキ少年「ごめんね、お姉ちゃん達...」
道中、山賊や魔物の襲撃も無く、和気あいあいと旅を続ける3人。
使用人チコリ「...珍しいですね」
リノン嬢「どうしたのチコリ?」
使用人チコリ「いえ、デリック様は毎回お嬢様の到着を待ちきれず迎えに現れるはずでしょう?もうとっくに現れてもいいころかと思いまして」
リノン嬢「ははは...それって喜んでいいのかなあ...おじさんだったら良かったのに(小声)」
使用人チコリ「もしかしてどっかで監視しているのかも知れませんよ。嫉妬深い方です。少年とはいえ男性と一緒に乗馬しているお嬢様に嫉妬しているのかも」
リノン嬢「ま、まさかあ...」
貴族のデリック「ご名答」

油断した瞬間だった。草むらの影からゴブリンの群れが襲い掛かって来た。
使用人チコリ「お嬢様ッ!その子を連れて離れてッ!」

リノン嬢「で...でもッ!わたしも戦えるっ!」
使用人チコリ「チッ、足手纏いなんだッつーの」
リノン嬢「チコリ?」
使用人チコリ「いえ、この数のゴブリンなら私ひとりで十分です。悪いですが邪魔です」
リノン嬢「...分かった。先の開けた所で待ってる!ドラーキ、こっち‼︎」
息も絶え絶え、ドラーキの手を引いてゴブリン達からなんとか逃げたリノンとドラーキ。しかし、彼女が目を離した一瞬の出来事だった。
ドラーキ少年「たすッ...!!たすけッ!ゴボッ!ゴボボッ!」

何者かに突き落とされたのか、ドラーキは道路脇に流れる川へ落ちてしまう。
リノン嬢「た...大変ッ!待って!今行くッ!」

おろしたばかりのハイヒールを投げ捨て、ドレスのスカートを掴むリノン。
リノン嬢「邪魔ッ‼︎」
ビリビリビリビリッと勢いよく裾を破り捨て、川へと飛び込む。

そんなリノンを見守る二つの影があった。レヤウィンの特務から戻り、駆け付けた傭兵のゾハル、それと使用人の老兵マブーイ。
執事のマブーイ「...助けないので?あなたの仕事でしょう?」

傭兵ゾハル「様子を見てからだな。リノンの身体能力なら問題なく引き上げられるはずだ」
執事のマブーイ「なるほど、あくまでお嬢様の意思を汲みたいと。所で本日はレヤウィンでは?」
傭兵ゾハル「少しキナ臭くてな」
マブーイを鋭い目付きで睨み付けるゾハル。惚けた顔でマブーイは口を開く。
執事のマブーイ「...イヤですねえ。どういう意味でしょう?」
傭兵ゾハル「ヘッ...まぁいい。オレは見てるからな」
リノン嬢「はぁ...はぁ...」
少年とは言え、溺れる人間を助けるのは容易な事では無かった。大量の川の水を飲み込み、溺れかけるリノンだったが、絶対に助けなければならない、強い意志でなんとか少年を陸に上げる事ができた。

ドラーキ少年「ゲホッ!ゲホッ‼︎ガハッ...」
リノン嬢「...へ、へいき?」
ドラーキ少年「...う、うんありがとう。でも服...」
リノン嬢「全然大丈夫だから。むしろ嫌な用事を断る口実ができたかも!」
少年を不安にさせまいと気丈に振る舞うリノン。
少年ドラーキ「おねいちゃん...あり、がと...」
ゴブリンを撃退し、後に使用人のチコリと合流したリノン達。安堵の顔を浮かべる。
使用人チコリ「ハァ...ドレスもメイクもグシャグシャですね。執事の怒る顔が目に浮かびます」
リノン嬢「ごめんなさい」
使用人チコリ「いいえ、良かったですね。これで今日の縁談は無しです」
リノン嬢「ギクっ...へへへ、何の事かなぁ...」
スキングラッドへドラーキを送り届けた後、とんぼ返りする事になったリノン達。この状況を予想できていなかったのはデリックだったであろう。
コロール近郊、チャールベルグ家。

両親にこっぴどく叱られたリノン達。そして日も沈み、リノンが一番楽しみにしていた時間が訪れる。思いを馳せるゾハルとの大切な時間。
リノン嬢「わたしすごい?」
傭兵ゾハル「ああ、たいしたもんだ。だが一歩間違えたらおまえも死んでたぞ」
リノン嬢「...うん、それでも、やっぱり飛び込んだと思う」
傭兵ゾハル「だろうな」
リノン嬢「おじさん」
傭兵ゾハル「なんだ?」
リノン嬢「しばらく遠征は無し?」
傭兵ゾハル「いいや、また数日後にはレヤウィンだ」
リノン嬢「なら、今日は付き合ってもらうよ。全然話し足りないんだから」
傭兵ゾハル「全く...まぁいい」
薪がパチパチと燃え落ちる音しか聞こえない、甘い静寂。

だがそんな愛しい時間を邪魔する音が響き渡る。
ガサガサガサッ、ガサガサガサッ、と森の向こうから聞こえる木々が揺れる音。
リノン嬢「魔物かな?」
傭兵ゾハル「さぁな」
ガンッ!!!!ガンッ!!!!ガンッ!!!!ガン!!!!
貴族のデリック「クソッ!!クソッ!!クソッ‼︎ボクのリノンを...もう許さないぞ」

数十分にも渡る男の大木への打撃。拳は変形し、傷口から血が吹き出しているが、デリックは嫉妬心を爆発させていた。
貴族のデリック「そんなにボク以外が大事なら、全てを奪ってやろう。そう思ったのさ。後は頼んだよ」

―――そして終わりの夜が始まる―――

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